ピョートル・ストルイピン

1906年7月21日ゴレムイキンの後任として首相に就任する。
ストルイピンが首相に就任した時期のロシア帝国は、増大する社会不安の中で、国民の中に革命思想が澎湃とする中、テロリズムも横行し、ロシア全土では多くの政治家・官僚・官憲らが暗殺され帝政は危機的な状況を呈していた。
土地改革に一部の反対派を取り込むことでめどをつけたのを機会に、首相就任翌日の7月22日、第一国会を解散する。
1907年第二国会選挙が実施され、ロシア社会民主労働党、エスエル及びトルドヴィキなどの左派政党が躍進し、国会は革命派色が濃厚となった。
ストルイピンは、第一国会と全面衝突してゴレムイキン内閣が崩壊した轍を踏むことを恐れ、6月3日社会民主労働党の国会議員を逮捕し、国会を解散に追い込んだ。