汐留駅

1872年10月14日に日本最初の鉄道路線の起点として開業した新橋駅がこの駅の始まりである。
リチャード・ブリジェンスの設計による木造石張り2階建ての西洋建築の駅舎があり、長らく東京のターミナル駅として機能していた。
また1873年9月には、当駅と横浜駅との間で日本初の貨物列車の運行が開始された。
1日1往復の運行で、イギリス製の有蓋車や無蓋車を使用していたという。

一本列島

本州と九州の間は1942年の関門鉄道トンネル開通以降、関門国道トンネル・関門橋・新関門トンネルが次々貫通して一体化が進みつつあったが、北海道・四国との間は戦後も長らく陸上交通では結ばれておらず、日本国有鉄道の運営していた青函連絡船・宇高連絡船・仁堀連絡船、更に民間航路で連絡するという時代が長く続いていた。 それでも戦前から橋ないしはトンネルによって日本列島4島を結ぼうという構想はあり、1954年の洞爺丸事故や1955年の紫雲丸事故を受けて青函トンネルと瀬戸大橋の建設が決定、前者は1961年に、後者は1978年に着工された。

ルイージ・ルッソロ

ヴェネト地方のポルトグルアーロに生まれる。
父親はラティザーナの教会楽長であった。
兄弟もやはり音楽家になり、そのうち兄アントニオも未来主義の音楽を作曲した。
1901年にミラノに出てブレラ美術館に足繁く通い、サンタ・マリア・デッレ・グラツィエ教会にてレオナルド・ダ・ヴィンチの「最後の晩餐」の修復作業に参加。
処女作においては、点描技法を用いて、都会や産業界を幻想的に描き出している。
未来派運動を信奉して、未来主義者のフィリッポ・トンマーゾ・マリネッティに近しく師事。

ヤンゴン

ヤンゴンは、6世紀に当時低地ビルマを支配していたモン族によって、ダゴンの名で創設された。
ダゴンはシュエダゴン・パゴダをほぼ中心とした小さな漁村であった。
1755年、アラウンパヤー王がダゴンを征服し、ヤンゴンと改名し、ダゴンの周囲に入植した。
英国は、第一次英緬戦争中にヤンゴンを占領したが、戦後にビルマに返還した。
1841年、街は火災で壊滅した。

ピョートル・ストルイピン

1906年7月21日ゴレムイキンの後任として首相に就任する。
ストルイピンが首相に就任した時期のロシア帝国は、増大する社会不安の中で、国民の中に革命思想が澎湃とする中、テロリズムも横行し、ロシア全土では多くの政治家・官僚・官憲らが暗殺され帝政は危機的な状況を呈していた。
土地改革に一部の反対派を取り込むことでめどをつけたのを機会に、首相就任翌日の7月22日、第一国会を解散する。
1907年第二国会選挙が実施され、ロシア社会民主労働党、エスエル及びトルドヴィキなどの左派政党が躍進し、国会は革命派色が濃厚となった。
ストルイピンは、第一国会と全面衝突してゴレムイキン内閣が崩壊した轍を踏むことを恐れ、6月3日社会民主労働党の国会議員を逮捕し、国会を解散に追い込んだ。

ジェフリー・パーカー

ジェフリー・アラン・パーカーはリバプール大学の生物学教授である。
彼は特に行動生態学と進化生物学に関心を持っており、1970年の精子競争の概念の提唱と、それ以降の進化生物学へのゲーム理論の応用によって有名である。
1972年にR.R.ベイカー、V.G.F.スミスと彼は異形配偶と二性の進化に関する理論を提唱し、1979年には性的な対立に関する最初の理論的な分析を行った。
彼の研究はつがい相手探しの競争の進化、動物の分布、動物の闘争、家族内の進化的対立、複雑なライフサイクルなどである。
パーカーはチェシャー州リムのリム・グラマースクールで教育をうけ、1965年にブリストル大学から理学士を、1969年にH.E.ヒントンの元で理学博士を取得した。
彼の博士号はハエの繁殖行動と性選択の性質に関するもので、性選択の詳細な量的テストを行い、これは生物学で最適化モデルを用いた初期のケースであった。

コンコルド

イギリスのBACとフランスのシュド・アビアシオンなどが共同で開発した超音速旅客機。
初飛行は1969年3月1日。原型機4機を含め、20機が製造された。
高度5万5,000から6万フィートという、通常の旅客機の飛行高度の2倍もの高度を、マッハ2.0で飛行した。
定期国際運航路線に就航した唯一の超音速民間旅客機でもあった。
開発当時は、世界中から発注があったものの、ソニックブームなどの環境問題、開発の遅滞やそれに伴う価格の高騰、また大量輸送と低コスト化の流れを受けてその多くがキャンセルとなった。
特にニューヨーク便就航に際しては激しい反対運動が展開され、法廷闘争にまで至った。
最終的にはエールフランスとブリティッシュ・エアウェイズの2社のみによる運行に留まる。

エルフリーダ・アンドレー

父親は医者のアンドレアス・アンドレー、姉はオペラ歌手のフレーゼリカ・ステーンハマル。
ルードヴィグ・ヌールマンとニルス・ゲーゼに師事。
スウェーデンにおける女性解放運動の活動家であり、スカンジナビア諸国で最初に公式の女性オルガニストに就任した。
1861年にストックホルムで音楽活動を開始し、1861年にはヨーテボリ大聖堂のオルガニストに就任する。
長年の貢献に対して、スウェーデン王立音楽院の一員に迎えられた。

アイザック・ドイッチャー

1949年に処女作「スターリン」を発表。
この作品でソ連問題及びロシア革命研究の第一人者となったが、その後『武装せる予言者』、『武力なき予言者』そして『追放された予言者』のトロツキー伝三部作を完成させる。
本三部作はハーバード大学・トロツキー文書館での詳細な調査に基づき完成を見たが、このうち第三巻に収録されている内容の殆どは、トロツキーの妻ナターリア・セドーヴァが封印を解くまで未公開とされてきたものばかりである。
イギリス前首相のトニー・ブレアは2006年、「生涯で最も感銘を受けた書物」としてトロツキー伝三部作を挙げている。

あたご型護衛艦

こんごう型に次いで建造された海上自衛隊2世代目のイージスシステム搭載ミサイル護衛艦である。
耐用年数を迎える旧式のたちかぜ型の後継艦として建造が計画され、あたごは1番艦「たちかぜ」と、あしがらは2番艦「あさかぜ」と交代した。
3番艦「さわかぜ」の代艦は計画されず、さわかぜの退役に伴うミサイル護衛艦の交代はなかった。
イージスシステム搭載艦としては、世界最大級の排水量を有すると推測されており、海上自衛隊の保有する艦の中でもましゅう型補給艦、ひゅうが型といずも型の各ヘリコプター搭載護衛艦に次ぐ規模である。